断食体験報告、その二

(Q)食事をしないと一日がとても長いと思うのですが、どんな一日を過ごすのですか?


(A)道場の日課は朝・夕の各15分間の静座(般若心経を三唱と黙想)だけ。出欠は自由です。あとは一日おきのシャワーくらいです。それ以外はすべて自分の時間です。一日中部屋の中で寝ころんでいる人もいます。“引きこもり”にはもってこいです。「もうそろそろ食事の時間だ、何を食べようか」などと考えることがないのです。想像してみてください。それはもう一日の長いことと言ったら……。
 私は段ボール箱にぎっしり本を詰め込み宅配便で道場に事前に届けておきました。思いっきり本を読むことにしたのです。本はすべて読破しました。一年分の読書をしたような気分です。さらに夜中に本を読むつもりで電気スタンドも持ち込みました。これも大正解でした。
 断食中は眠くならないのです。内臓を酷使しないので疲れません。眠る必要はないのです。一日に30分も眠れば充分です。脳は疲れないのですが目は疲れます(私は乱視なのです)。そういうときはiPodが活躍しました。一日のほとんどが自分の時間という至福の時を過ごしました。「ひとりになりたい」、「自分の時間が欲しい」という人にとって断食はおすすめです。


(Q)断食の料金は全部でどのくらいしたのですか?


(A)20日間で14万円ほどだったと思います。


(Q)もっと安いところはなかったのですか?


(A)調べたことがありません。
 というか私は金に糸目はつけません。他と比較すること自体くだらないことです。そんなくだらないことにエネルギーを使うべきではありません。すべての不幸は比較することから始まります。安いところを求めて右往左往するのは見苦しいし、みっともないのです。1円でも安いところを見つけては得意になっている人がいますが、私にはそんな人の気が知れません。


(Q)断食期間をとおしてなにか心がけておられたことはありますか?


(A)“マメに暮らす”ことを心がけました。
 私は生来、ズボラで怠け者です。一人暮らしを10年間経験しましたが、その間、まともに掃除や洗濯をした覚えがありません。年中、万年床でしたし、挙げ句の果ては畳からキノコが生えてくる始末でした。そのキノコをインスタントラーメンに入れて食べたこともあります。そういう生活でも平気だったのです。今から思えばよくもまあ病気にならなかったものだとあきれます。
 しかし、断食では心身改造が目的でしたので、この際、意識的に“マメに暮らす”ことを心がけました。毎日、部屋の掃除を欠かさず、布団の上げ下げもやりました(道場では万年床でも一向にかまわないのです)。洗濯も毎日やりました。欠かさず日記も書きました。体重の変化や用便の回数、回復食の献立、読んだ本の感想等々にいたるまで克明に書き留めました。
 昨年の断食の経験では途中で日にちや曜日が分からなくなりましたが、今回は最初から最後まではっきりした意識で毎日を過ごしました。
 アウシュビッツの収容所で生き延びた人、山や海で遭難し奇跡的に助かった人など、極限状態を生き抜いた人たちに共通しているのが“マメで几帳面”だったということです。ズボラではサバイバルできません。
 毎日のささやかなことを丁寧にやることの効果はてきめんでした。いままで洗濯なんかバカにしていましたが、いまでは洗濯が楽しくて仕方がありません。太陽の下で洗濯物を干すのは気分が良いものです。洗濯物を取り終わってしわを伸ばして、しっかりたたんで置いておくととても満足した気分になれました。禅宗では毎日の生活そのものが禅の修行だとしていますが、もっともなことだと思います。私のカミさんは「洗濯が趣味だ」と言っていましたが、いまになってやっと分かりました。「おまえは、えらい!」
 この「“マメに暮らす”ことの不思議なパワー」に気がついたことにより、私はたとえ無実の罪で刑務所にぶち込まれたとしても大丈夫です。私はきっと模範囚になれると思います。懲役10年くらいまでなら許容範囲です。もう何も怖いものはありません。
このようにして今回の断食も成功裡に終わったわけです。私が仙人の領域に達するのももうあと一息です。ご期待ください。