禁錮8日目

 朝5時起床。小雨。満開だった桜の花もすっかり散り落ちた。葉桜もまた良い。ウグイスが相変わらず元気に鳴いている。
 
 本断食6日目。静養院での生活は快適そのものだ。朝夕の静座以外、義務的な日課が何もない。それに食事がないのだから一日が無限に長い。すべてが自由時間だ。
 
 汗もかかないし、何もしないので体は汚れていないが、下着は毎日取り替えている。それに洗濯も二日おきにやっている。ずぼらな私には考えられなかったことだ。部屋の掃除も毎日やっている。べつに義務ではないのだが。洗濯とか掃除のような単純な作業が楽しいのである。ひとつひとつの作業に念を入れてやっていると楽しくなる。
 
 なぜ、こういう気分になるかというと時間に追われていなからだ。時間に追われていないから、ひとつひとつの行動が“上の空”にならない。現代人の特徴は“時間に追われている”ことだ。“時間に追われている”から、意識が“今”に集中しない。常に不安で、やることなすことが、すべて“上の空”になるのだ。
 
 テレビがないのもよい。オプションでテレビのある部屋も選べたが、あえてテレビなしの部屋を選んだ。これも大正解だった。断食にテレビは不要である。テレビのある部屋の受刑者(?)はグルメ番組を見ているという。これは危険だ。断食中の想念は強烈だ。だから、グルメ番組を見て、あれも食いたい、これも食いたいと思えば必ずその通りになる。下界に帰ってバカ食いをして、せっかくの断食が元も子もなくなるのだ。
 
 夜は部屋の明かりが暗い。天井にぶら下がった薄暗い電灯では、手元が暗くて本が読めない。iPodモーツアルトを聴く。断食にモーツアルト、合うじゃないか。