私はカスミを食って生きていける

  私は今回の断食では“ある心構え”を二つ持って臨むことにしていた。そのひとつは自分の肉体は「本当の自分」ではない。自分の肉体は道具にすぎない。だから、その道具である肉体がどうなろうと「本当の自分」は死なない、という突き放した心構えである。


 自分の肉体は「本当の自分」ではない、とは突き詰めて考えれば当たり前のことであるが、日常の生活ではついつい自分の肉体を自分だと錯覚して暮らしている。この錯覚から抜け出すには断食は絶好の機会である。食を断つことによって肉体は悲鳴を上げる。しかし、ここで肉体のことは肉体にまかせるのだ。なんせ、この肉体は地球上に生命が誕生して以来35億年間、脈々と受け継いできた遺伝子を持っている。そう簡単にくたばるわけがない。もともと、しぶとくしなやかで、かつ、たくましく、そして精妙にできているのだ。自分の意識から肉体のことを手離して、あっけらかんと肉体のことは肉体にまかせ切る勇気をためそうと思ったわけだ。


 結果はこれが大正解!断食の期間中、飛び跳ねたいほど調子が良かった。二週間、食を断ってもまったく不安を感じるどころか、脳内麻薬物質が分泌されたせいだろうか、永久に断食できるのではないかとさえ思ったほどだ。「よぉ〜し!仙人になれるゾ」……ワシはこう思ったよ。


 そのまま断食しておれば、皮膚にメラニン色素ではなく、葉緑素が沈着し、そのうち光合成を始めるかも知れないと思った(そのくらい生命はしぶとく進化し、生き残ろうとするものだからだ)。あと何年かすると私の身体は緑色になっているかも知れない。人類進化の果ては緑色人種だ。二酸化炭素を取り込んで酸素を吐き出せば地球温暖化防止にひと役買えるしな。自分で播いた種は自分で刈り取るという合理的な解決法でもある(アハハハ)。


 それともうひとつの心構えが、「毎日のささやかなことを丁寧にやる」ということだ。毎日、掃除・洗濯を欠かさずやり、日記も克明につけた。日干しした洗濯物を取り込んでしわを伸ばし、丁寧に折り畳む気分は何とも言えずすがすがしい(これで集中力と気力が湧いてくるから不思議だ。家事をまじめにやる女性が長生きするはずだ)。私にとって、これが何よりの非日常体験であった。


 私は縦のものを横にもしない何もかもカミさんまかせのズボラ人間だった。それを自慢にさえしていた。そんな私はアホでした。しかし、危機的状況を生き延びた人たちに共通するのは「毎日のささやかなことを丁寧にやる」という習慣である(アウシュビッツのような絶望的状況でも生き延びた人は、割れたガラスを使ってでも毎日欠かさずヒゲを剃っていたという)。ズボラは自慢にならない。


 以上二つの心構えを持つことの経験をとおして私はまた一歩、仙人の域に近づいた。これでたとえ冤罪で刑務所へぶち込まれたとしても私は平気だ(ただし、私は協調性がないので相部屋ではなく、ぜひ独房にして欲しいが……)。断食道場を出所したときは本当に禁錮30日の刑を務め終わって出てきたような気分であった。